AIと私の会話日記

AI(ChatGPT・BingAIチャット・Bard)と私の会話を記録したブログです。

AIに歴史上の人物の面白エピソードを聞いてみたが・・・

 

 AIに歴史上の人物の面白エピソードを聞いてみたいと思います。

 ChatGPTに頼んでみました。

 

私「織田信長の面白エピソードを教えてください」

織田信長は、戦国時代の日本で活躍した武将であり、その独特な個性と大胆な行動で知られています。以下に、織田信長の面白いエピソードをいくつか紹介します。

義理堅い神経の持ち主:信長は義理堅い性格で知られており、一度約束したことは必ず守るとされています。ある時、信長が一族の重臣と酒を飲んでいたとき、彼らが酔っ払ってしまい、秘密の話をしてしまったときがありました。次の日、重臣たちは酔っ払ったことを恐れ、信長に謝罪しようとしましたが、信長は「昨夜のことは覚えていないから問題ない」と言って許しました。信長の義理堅さは、部下たちの忠誠心を深める一因となりました。

風呂での暗殺未遂事件:信長はある時、自分の身を守るために日本初の大名風呂を作りました。信長が入浴している最中、敵対勢力からの暗殺者が現れました。しかし、信長は敏感な勘で暗殺者を察知し、素早く斬り捨てました。このエピソードから、信長の機転と冷静な判断力が伺えます。

毘沙門堂の大改造:信長は建築や美術にも関心を持ち、独自のセンスを発揮しました。ある時、信長は京都の毘沙門堂を改築することになりましたが、信長の予算は限られていました。そこで信長は、豪華な装飾を施す代わりに、廃材や使い古しの材木を活用して独自のデザインを作り出しました。この結果、信長独特の個性的な建築様式が生まれ、後世に大きな影響を与えました。

筆頭家臣のおどし:信長は家臣たちとの関係も非常に重要視しており、彼らとの信頼関係を築くためにさまざまな手段を取りました。ある時、信長は筆頭家臣の柴田勝家を驚かせるために、家臣たちに協力を依頼しました。柴田勝家が城に到着すると、信長は突如家臣たちを率いて襲い掛かり、柴田勝家を驚かせました。しかし、すぐに信長自らが現れて冗談であることを明かし、家臣たちは和やかに笑い合ったと伝えられています。

これらのエピソードは、織田信長の冒険心やユーモアのセンス、そして彼の指導力や決断力をうかがい知ることができます。

 

 AIの回答なので真偽のほどは不明ですが本当なら面白いですね。

 

私「豊臣秀吉の面白エピソードを教えてください」

豊臣秀吉は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した日本の武将・政治家であり、その独特なキャラクターと大胆な行動で知られています。以下に、豊臣秀吉の面白いエピソードをいくつか紹介します。

犬との名刀勝負:ある日、秀吉は友人とともに庭で犬の訓練をしていました。その際、秀吉の友人が美しい刀を持っていることに気づいた秀吉は、興味津々になりました。秀吉は友人に刀を貸してもらい、犬に向かって斬りかかりました。しかし、犬は動きをかわし、秀吉は見事に空を斬ってしまいました。これを見た友人は驚き、秀吉に刀を渡すことを躊躇しました。しかし、秀吉は「私はこの刀を使えないのだから、君に渡してくれ」と言い、友人から刀を手に入れたとされています。

錦の御所:秀吉は豪華な建築物や美術品にも興味を持ち、自身の権力を示すために豪華な御所を建設しました。その中でも特に有名なのが「錦の御所」です。秀吉は自らの権威を表すため、金箔や豪華な装飾品を使って御所を作り上げました。しかし、秀吉の死後、御所は取り壊され、その豪華な装飾品は他の建物に使われることはありませんでした。

大坂夏の陣での逃亡劇:豊臣秀吉は有名な将軍として知られていますが、彼の人生には困難な瞬間もありました。特に大坂夏の陣の際には、秀吉は敵勢力に包囲されてしまい、窮地に立たされました。しかし、秀吉は敵陣を抜けるために、部下たちとともに逃亡劇を演じました。秀吉は農民の姿に変装し、途中で敵に捕まりかけながらも、最終的には無事に逃れることに成功しました。このエピソードは、秀吉の機転と勇気を物語っています。

唐人参の誤解:秀吉は外交交渉にも独自の手法を用いました。ある時、中国から贈られたとされる珍しい植物「唐人参」が秀吉のもとに届きました。しかし、秀吉は唐人参を通常の人参と勘違いしてしまい、とても驚いたと伝えられています。実際には唐人参はガジュツ科の植物であり、人参とは異なるものでしたが、秀吉のユーモアセンスや間違いから生まれた逸話として語り継がれています。

これらのエピソードは、豊臣秀吉の個性や冒険心を反映しており、彼の人生と業績の一端を垣間見ることができます。

 

 ん? 大坂夏の陣の頃にはすでに秀吉は亡くなっていますよね?

 その戦いで死んだのは息子の秀頼ですし。

 他のエピソードも怪しくなってきました。

 最初の犬のやつもなんか文章が変ですし。

 

私「徳川家康の面白エピソードを教えてください」

徳川家康は、日本の江戸時代に活躍した武将・政治家であり、江戸幕府の初代将軍として知られています。以下に、徳川家康の面白いエピソードをいくつか紹介します。

「鷹狩り発言」の逆鱗:ある時、家康が鷹狩りに出かけた際、鷹に獲物を捕まえさせることができず、興が乗らない様子であったと伝えられています。そこで、家康の側近が「御鷹は遠くまで飛び、なかなか獲物を捕らえないので、もしも鷹が家康公を捕まえたらどうされますか?」と尋ねました。家康は面白い答えを返し、「鷹が私を捕まえたら、それは鷹の獲物ですから、取り上げられるしかありませんね」と言ったとされています。このエピソードは、家康の冷静な判断力とユーモアのセンスを表しています。

「豆腐の命令」:ある時、家康が織田信長のもとを訪れた際、信長は豆腐をひと切れずつ供されました。家康はそれに対して、「豆腐は一気に食べるものだ。全部供えろ」と言ったとされています。これは家康の質素な性格と効率重視の一面を表していると言われています。

「言葉の遊び」:家康は文学や詩歌にも興味を持っており、言葉遊びを楽しむことがありました。ある時、家康が家臣に対して「仰々しい漢詩を作ってみろ」と命じました。すると、家臣の一人が以下のような詩を作りました。「犬吠える 家康公の城下の犬に 猿も笑う」。家康はこの詩を聞いて大いに笑い、家臣を褒めたと伝えられています。家康の気さくな性格やユーモアのセンスがうかがえるエピソードです。

「あわや切腹」の誤解:ある時、家康が江戸城で家臣団と会議を行っていた際、突然、「大名になりたい者はここで切腹せよ」と言い放ちました。家臣たちは驚き、あわや自分たちが命を落とすことになるのではないかと恐れましたが、家康は笑いながら「眠気を覚ましてくれるためのジョークだった」と説明しました。家康の冗談好きや、人々を驚かせることで緊張をほぐす一面が伺えるエピソードです。

これらのエピソードは、徳川家康人間性やユーモアのセンスを反映しており、彼の指導力や寛大な性格をうかがい知ることができます。

 

 なんかおかしいですね……。

 AIに歴史上の人物のことを聞く時は回答の真偽を自分で調べた方が良さそうです。